生没年不詳。

狭野弟上娘子については、蔵部の女儒あるいは斎宮寮の女嬬だったのではと 推測されている事以外は、詳しくわかっていない。

天平十一年頃、恋人の中臣宅守が越前に流罪にされ、

彼との贈答歌が四首残されている。

宅守の罪状に関しては、弟上娘子との恋が原因とされるが、

しかし、采女でもない蔵部の女儒であったのなら、

なぜ宅守との恋愛だけで罰せられるのか、

また、宅守の流刑は重過ぎるなど、諸説あり、原因はいまだにはっきりしていないようです。また、宅守の流罪は、恋愛絡みではなく、

政治絡みのものではないかとする見方もあります。

 

 

 

 

 

何でも、「中臣系図」によると、宅守は東人の七男だとあり、

この東人と似た名前の、中臣宮処東人が長屋王の呪詛を告発し、

異例の昇進をしたのですが、その十年後の天平十年に、

大伴子虫にあれは誣告だと言われ、殺害されています。

しかし、この子虫が罰せられた様子はなく、

この十年の間に、長屋王の冤罪が正式に認められるようになったという

事でしょう。それで、もし宅守がこの東人の息子だとすれば、

父の罪状に連座しての越前国配流だった可能性があり、

彼だけ大赦の恩恵にあすかれなかったというのも、

密通という個人的・恋愛絡みの罪よりも、

政治絡みの配流だったからではないのか?という見方があるようです。

 二人の恋の歌に話は戻りますが、いずれも情熱的で哀切な弟上娘子の歌ですが、やはり、何といっても最も印象的なのは、この一首でしょう。

「君が行く道のながてを繰り畳ね焼き亡ぼさむ天の火もがも」。

あなたの行く道を、その長い道のりを手繰り寄せ、焼き滅ぼしてしまう天の火が欲しいという、発想がすごいですね、この情熱・独創性。

二人の恋の結末ですが、「続日本紀」によると、天平十二年(740)の

六月に、大赦が行なわれましたが、この時に許されなかった者の一人として、宅守の名前が記されています。

おそらく、弟上娘子の最後の歌は、やっと大赦で恋人の宅守が許されて

都に帰ってきたと思い喜んだのも束の間、深い落胆と嘆きを表わした

歌だと思われます。一層、二人の哀切な悲恋を思わせます。

残念ながら宅守が罪を許され都に戻ってきたのは、何十年も経ってから。おそらく、すでにこの時の彼女の歌もない事などから、生きて再会する事がないまま、弟上娘子は先に亡くなってしまったようです。

 

 

 

万葉集巻第十五巻 

 

 

 

三七二三 あしひきの山路越えむとする君を心に待ちて安けくもなし

 

 

三七二四 君が行く道のながてを繰り畳ね焼き亡ぼさむ天の火もがも

 

 

 

三七二五 わが背子しけだし罷らば白妙の袖を振らさね見つつ思はむ

 

 

三七二六 この頃は恋ひつつもあらむ玉くしげ明けてをちより術なかるべし

 

 

 三七七二  帰りける人来れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて